1946年、Balmain(バルマン)はデザイナーのPierre Balmain(ピエール・バルマン)によって設立された。ブランド誕生以来、フランスのファッション業界に革命を起こし、女性に力を与え続けている。1945年の10月に発表されたBalmanのデビューコレクションは、Christian Dior(クリスチャン・ディオール)の ”ニュールック” に2年先行して行われ、曲線を強調するシルエットを取り入れた。1947年までには世界的に影響力のあるブランドとなり、ファッション業界を牽引。Pierre Balmainが提唱したカジュアルなクチュールスタイル ”ジョリーマダム” の要素は今もブランドのDNAの中にある。シグネチャーのテーラードジャケットは、1940年代の人々の象徴的なシルエットを表している。
Oscar de la Rentaの時代
Balmanは今日まで7人ものデザイナーたちが支えてきた。ドミニカ共和国出身のデザイナーOscar de la Renta(オスカー・デ・ラ・レンタ)は1994年にクチュールコレクションでデビューし、独自のエレガンスをブランドにもたらした。従来のフェミニンなデザインに重きを置いたOscar de la Rentaのデザインは非常に美しいものであったが、今日のBalmanのように強烈で冒険的ではなかった。
Balmainの神童、Olivier Rousteingの時代
2011年、当時若干25歳だったOlivier Rousteing(オリヴィエ・ルスタン)がBalmanのヘッドデザイナーに抜擢。彼には先見の目があったからこそ、Pierre Balmainのデザインを現代女性のために再生させることができたのだ。
Roberto Cavalli(ロベルト・カヴァリ)のインターンとして18歳でキャリアをスタートさせたRousteingは、ヘッドデザイナーのPeter Dundas(ピーター・ダンダス)の弟子の一人となった。Rousteingにグラマラスさについて教え込んだのはDundasである。「Peterはオペラの衣装デザインの経験があったので、このように華やかなスタイルを作ることに長けていたのです」
RousteingによるRoberto Cavalliのコレクションでは、ブランドが持つ華やかなイメージの中に自身のアバンギャルド的傾倒を上手く落とし込んだ。やがて先見の目を持つデザイナーとして認識されるようになる。
Rousteingが手掛けるBalmanの初コレクションを批評家たちは絶賛し、「闘牛士のコスチュームやラスベガスの壁紙など、メキシコ的なもの」と評した。一方で、デザイナーが好む派手なパターンがコレクションを悪趣味なものにしてしまうのではないかと危惧する声もあった。
しかしながら、Rousteingは自身のデザインについてこう話している。「Balmanのクチュールの伝統と、Oscar de la Rentaの功績を尊重したかったのです」。これを実現するために彼は、Balmanのクラシックなクチュールのシルエットに奇抜なパターンを取り入れた。さらに、ストリートウェアにも力を入れ、ディフュージョンラインであるPierre Balmain(ピエール・バルマン)を立ち上げる。アヴァンギャルドなビジョンをカジュアルウェアに落とし込んだ。
2019年、Anissa Bonnefont(アニッサ・ボヌフォン)が監督とプロデュースを務めるドキュメンタリー『ワンダーボーイ』が公開。Rousteingが自身のルーツを探しに行く姿を描いた。「デザイナーがオフィスでファッションについて語るドキュメンタリーはたくさんありますが、それは私の一面にしか過ぎません」とRousteingは語る。「もう一方の自分はとても寂しさを感じていて、自分は何者なのかを理解したがっているのです。とても大変なことだったけれど、私はできる限りありのままの自分の姿を見せたかった。ドキュメンタリーの製作を通して、自分のエチオピア人とソマリア人の民族性を発見しました。母は若くして私を産み、必ずしも同意があったわけではなかったこともわかりました。たとえどんなバックグラウンドがあっても、誰もが自分の行きたい場所を見つけることができる。それがこの作品の最後にある私からのメッセージです」
「今社会でも私の人生でも色々なことが起きているので、自分の将来の計画を細かく立てることはしません」とRousteingは語る。「けれど、私には夢があります。10年後も今と同じように笑顔で、創作することの幸せと自由を感じながら目覚めることができたらいいですね。安っぽく聞こえるかもしれないけれど、ファッションの世界では人を喜ばせるために自分を見失ってしまうことはよくあることなのです。自分自身に満足することが何よりも重要であることを学びました」
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Olivier Rousteingのミューズたち
アメリカの黒人歴史月間(Black History Month)を記念して、FARFETCHはアフリカのファッションやアート、音楽、カルチャーに特化したメディアプラットフォームNataal(ナタール)とタッグを組み、Olivier Rousteingへのインタビューと彼のスタイルアイコンにちなんだ撮影を行った。Grace Jones(グレイス・ジョーンズ)やPrince(プリンス)、 Beyoncé(ビヨンセ)などがフューチャーされている。
「Grace Jonesは音楽界で初めて中性的なファッションに挑戦した女性アーティストの一人です。そこに彼女の力強さと大胆不敵さが現れています」とRousteingは説明する。「私は彼女のスタイルが明から様にグラマラスでないところが好きなんです。1980年代のAzzedine Alaïa(アズディン・アライア)とのコラボレーションも大好き。真のミューズが持つパワーを理解することができました」
「Grace Jonesのように、Princeはメンズとウィメンズのワードローブを融合させました。まだ多くの人が他人の型破りなファッションを批判していたような時代です。彼はまわりからどんなことを言われても、決して境界線を押し広げることを止めませんでした。多くの点において、今日のジェンダーレスなファッションはPrinceのアイコニックなイメージにまで遡ることができます。例えば、1980年代から1990年代にRichard Avedon(リチャード・アヴェドン)が撮影したショットなどです」
「Beyoncéはアイコンでありインスピレーションの源であると同時に、素晴らしい友人でもあります。彼女は私にたくさんのことを教えてくれました」とRousteingは話す。「2018年に行われたCoachellaのパフォーマンスで彼女がBalmanを着用した時、私たちは多くの時間を一緒に過ごしました。あの時のことはこれからもずっと覚えているでしょう。彼女が口にする言葉には信じられないほどパワーがあります。そして何よりも、彼女は必要とされている変化のために活動を続けるアクティビストでもあります」
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#BALMANARMYでさらに認知拡大。広がるコミュニティ
Olivier RousteingによるBalmanの成功にはSNSの力も大きく影響している。フランスのファッションブランドで初めてインスタグラムのフォロワー数100万人を突破したのはBalmanだった。
Rousteingが作った#balmainarmyのハッシュタグは、Kardashians(カーダシアン家)をはじめとする世界の有名人たちが使用している。「私は多様性のために戦おうと、#balmainarmyのハッシュタグを作りました」とRousteingは説明する。「私のキャリアには多くの障害がありました。Balmanに入社した頃は、なぜ私がフランスの高級メゾンにヒップホップやKim Kardashian(キム・カーダシアン)、ソーシャルメディアを持ち込むのかと聞かれました。だから私はこれを進化ではなく革命だと考えたのです。そのためには仲間が必要でした。#balmainarmyは多くの人が参加するコミュニティにまで成長することができたので、もう戦う必要はないと思っています」
Rousteingのファッション業界への影響力はSNSだけに留まらず、今や各国のメディアや他のファッションメゾンからも注目を集めている。2012年春夏の大胆なプリントのペアリングから、2014年秋冬のフェイクファージャケット、そして2015年のリゾートコレクションで披露した大胆なレザーオンレザーのデザインまで、Rousteingが打ち出すコレクションは常にファッション界の最先端を走っている。
Balmanはシャープなテイラードブレザーやコート、装飾の施されたミニドレスやタイトなペンシルスカートの定番ブランドとして愛されている。2021年春夏コレクションでRousteingはBalmanのアーカイブに着目し、クラフツマンシップや色彩、喜びに満ちた陽気なコレクションへと昇華させた。「Pierre Balmanは第二次世界大戦直後、女性に力を与えるためにブランドを立ち上げました。だから私は、彼のオリジナルのアイデアである "ジョリーマダム "を2021年に持ち込み、それがどのようなものになるか確かめたかったのです。同時に、70年代初頭の彼のPBモノグラムも復活させました。Pierre Balmanの死後、しばらく低迷していた時代があります。その間に多くのことが忘れ去られてしまったので、ブランドのアイデンティティを再構築するのが私の責任だと思いました」
Balmanはいつの時代も創始者のビジョンをデザインに反映させてきた。歴代のデザイナーたちはそれを繰り返し再構築、再定義、再解釈してきたが、ブランドのアイデンティティと評判は今もなお強く損なわれていない。Rousteingによって生まれ変わったBalmanは先人たちの美学を踏襲しながらも、より強烈な個性で先駆的なスタイルを生み出すための献身的な努力を続けている。